水没したあたり

黒田を過ぎると三宅町に入ります。万葉集に「打久津 三宅の原ゆ 直土に 足踏み貫き 夏草を 〜」から始まる歌がありますが、足場が悪い夏草の原をずぶずぶ踏みわけて行ったということですから、万葉集の頃は水田や森林じゃなかったことは確かでしょう。このあたりから川をはさんで対岸は世阿弥一座の本拠地だったと言われてるところです。*1

また少し行くと飽波神社があります。ここは白洲正子さんの「十一面観音巡礼」にもとりあげられてます。いわく、その名前からしても水の神様だと。また、この本が書かれた約40年前頃には、飽波神社から法隆寺に至る河川敷は葦が風にゆられて音がしていたと書いています。いまはコンクリート護岸と雑草しかないですが。

*1:網野善彦さんは奈良の人にこそもっと読まれるべきと思います