2010-02-28から1日間の記事一覧

大職冠

いよいよとんまさも目前です。 このあたりの地名は大職冠(だいしょくかん)と言います*1。「盛ってください」と言わんばかりの地名にデブ心高まります。大職冠という言葉の意味は、冠位のうちの最高位のことで、歴史上藤原鎌足しかいないので鎌足の別名とな…

大阪口

そうこうしてるうちに郡山周辺で一番の高台に出ます。北側を望むと、 そこはかつて「大阪口」と呼ばれていた場所です。昔、大阪と奈良を結ぶ街道がとおってたところからついた名前で、さきに紹介した「奈良口」とセットの地名です。 なお、写真右側の白い塀…

郡山なのか天理なのか解らなくなる

九条通り跡をずんずん西に進むと「大和郡山市天理町」っていう場所にさしかかります。北海道北広島市的な地名です。天理町という現在の地名の由来は、ここに天理教の巨大な教会があることにちなみます。 写真右の塀が天理教。行けども行けども天理教。消失点…

七つ井戸の真相

厨房妄想といえば、植槻八幡宮のすぐ南側が七つ井戸です。 以前の日記でも名前だけ紹介して邪気眼妄想をふくらませた場所です。あのあと調べるとここは昔から水が湧いてたところらしく、探すと今でも水道局の取水井戸が見つけられます。 うちもここの水飲ん…

今日はここまでこじつけた

植槻八幡神社です。 このあたりの植槻という地名は万葉集*1にも登場する古いものです。神社の前身の植槻寺も和銅2年(709年)に藤原不比等*2が維摩会を行った記録が残ってる、とても古いものです。お寺自体は遷都以降は衰えたらしく長保5年(1003年)には植槻寺…

You Only Live Twice

さらにずんずん西へ進みます。 田舎によくある謎の看板など横目にみつつ、 お城の前の踏切まで来たら線路沿いを20mぐらい北に行ったところにあるのが

奈良口

鍛冶大門跡の北側、秋篠川に向けて観音寺通りという道があります。 その先の秋篠川にかかる橋のあたりは「奈良口」という地名で呼ばれています。奈良なのに奈良口とはこれいかに。奈良口のあたりはかつて平城京の八条大路と西一坊が交差するあたりだった場所…

hogemanのオタク探訪 番外編 「そうだ、とんまさに行こう」 (後編)

私は県内のよその町から郡山に越してきて10年あまり住んでるんですが、ほとんど寝に帰ってるだけ状態なので街のことよく知りません。さいわい郡山市は郷土史に関する史料が多いので歴史散歩のネタには事欠きません。 というわけで誰も期待してない散歩日記…