奈良口

鍛冶大門跡の北側、秋篠川に向けて観音寺通りという道があります。

その先の秋篠川にかかる橋のあたりは「奈良口」という地名で呼ばれています。奈良なのに奈良口とはこれいかに。奈良口のあたりはかつて平城京の八条大路と西一坊が交差するあたりだった場所なので「平城京の入り口」というわけでもありません。
実は、生駒山を越えて奈良街道経由で大阪から奈良方面にきた場合、奈良の西市(いち)への入り口にあたる場所だったのでこういう地名になってるようです*1奈良時代には税として各地から送られた物資が集まってきたところで賑やかだったみたいですが、市以外の場所は寂れてたんでしょうかね。当時から。
なお、秋篠川が奈良口のところで直角に北から東に折れてるんですが、古代にはこれが直線的に南に降りてきてて、前回紹介した外堀のあたりにつながっており、運河として使われてたらしいです。

*1:Wikipedia平城京のページでは七条大路と八条大路の間のワンブロックが全部西市に見えますが、私の持ってる図では八条寄りの270m四方ぐらい(つまり一坊の四分の一)だけが西市になってます。微妙に8bitに収まらないサイズですね。