水深を測る
データを奈良湖だけに絞ったところで、最大の水深と平均の水深を測ってみます。
ピクセル値を取り出して集計...とかしなくても大丈夫です。
SELECT (stat).mean 平均, (stat).max 最大, (stat).stddev 偏差 FROM (SELECT ST_SummaryStats('[テーブル]','rast', true) stat) wk; 平均 | 最大 | 偏差
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すっごい浅いです。霞ヶ浦より浅い。最大水深部分は現在の大和川の河床で、ここは治水工事などの関係で今のほうが昔より掘れている可能性もありますから昔はさらに浅かったかも。
水深からすると、飛鳥時代頃の奈良湖は湖というよりも沼とか湿原に近かったということがわかります(断定)。平均水深が近い琵琶湖の内湖や霞ヶ浦も(水質が良かった時代は)広大な葦原だったらしいです。きっと聖徳太子は、水田の稲穂の奥に葦があおあおと生い茂ってる風景の中を歩いて*1いたんでしょう。
日本の海岸線は昔は今と違って葦原が広がってたから豊葦原瑞穂の国といった、というような説明もどっかでみた気がしますが、豊葦原瑞穂の国は正確には橿原周辺の呼称のはずです。当時の奈良県民はもっと自分ちに身近な近所の景色を評して豊葦原瑞穂と表現したに違いないです。岸の近くでは蓮根とかも作って食ってたと想像してます。額田*2のあたりに今もレンコン作ってる農家があって、初夏の頃は花も咲いてプチ浄土的な雰囲気になります。
って、現地知らない人には興味ないですよね。
…続く