つづき

湖水面の高さは時代によって上下します。前回の地図で出た水面がいつの時代相当かはともかく、唐古鍵遺跡が水没*1しちゃってるんで、少なくとも弥生時代には湖の面積はこの範囲より狭かったんちゃうかと。その前提だと、石上〜三輪〜初瀬あたりは相当昔から、湖岸からだいぶ離れた内陸だったんちゃうか、といったことも読み取れます。
山ぞいに遺跡が多い理由として「古墳時代初期頃まで湖岸が山に迫ってた時代があったからだ」という解釈より「祭祀や葬送を行うべき場所が、人間の村と異界である山との境界だった *2」とこじつ理解するのが自然におもえます。氏神系の古社所在地は湖岸付近の平地が多いっぽいですしね。

*1:耕地化したときに標高が下がった可能性とかもあるけど、遺構が残ってるんだからそんなに下がってないはずですよね?

*2:山の麓にお社がある理由の説明は、赤坂憲雄さんの「境界の発生」って本が参考になった