歩いて行くの無理だろjk

奈良から当麻への道は普通のルートを通るとフルマラソン程度の距離があります。中将姫は嵐の夜に一晩で歩いた設定になってますが、無理ありすぎ。
当時の奈良盆地は船による交通が発達してたみたいですので、船で秋篠川佐保川大和川〜高田川と通って当麻に行った、といった説明のほうが納得しやすいと思います。
そういうわけで、奈良口には都合良く船着場跡があったりします。

六月に張る写真じゃないわな。
秋篠川の河川敷はバイクでの通行困難なのでここから大和川までは徒歩想定ルートでいかせてもらいます。
郡山城の裏からアピタの前を南下しますと、今国府に出ます。

よみは「いまごう」です。「いまこくふ」じゃないです。漢字だけみると国府由来の地名のように見えますが実際の由来は単に集落を意味する今戸だとかで*1

ここからさらに南下します。(まだおわらんよ)

*1:古代地名は字義より音で当てるのが基本(キリッ