で、何が珍しいの?

この日記を見に来てくれてるような人には説明不要な気もしますが、街区表示板をみていただければ一目瞭然かと。

ここは、街区符号が「渡辺」なんです。経緯についてはWikipedia坐摩神社の頁が詳しいです。
Wikipediaとかの写真は伊藤忠ビル側(東)から撮ってますが、西側にも下の写真のような出入り口があって、境内を通り抜けると近道をできるような便利な造りになってます。

神社の前にはこんな碑が建ってます。


旧町名継承碑『渡辺町』
 当町は明治初頭、大坂三郷北組の南渡辺町・椹木町・西笹町および南組の上難波町の各一部であったが、明治五年三月椹木町の一部が横堀五丁目に、西笹町が横堀六丁目に、上難波町の一部が上難波北之町となった。同二十二年四月市制施行に伴い大阪市東区に編入された。大正三年九月上難波北之町の一部が北久宝寺町五丁目の一部となり、昭和五年九月南渡辺町・北久宝寺町五丁目・横堀5〜6丁目の各一部をもって渡辺町となった。平成元年二月東区は南区と合区して中央区となり、同日付の住居表示の実施にともない久太郎町四丁目の一部となった。
 町名は、天保年間、大阪城築城にあたり、坐摩神社が渡辺の庄、(現在、中央区石町坐摩神社が行宮付近)から遷座し、渡辺氏が社家として移住してきたことに由来する。
平成八年二月 大阪市中央区役所
大阪市内にはこういった旧町名継承碑がけっこうたくさん建ってます。ここを読んでおられる地理オタのみなさんも大阪を訪れることがあれば、これらの碑を探して歩くのも楽しい暇つぶしになるかと思います。
市がどういう経緯でこういう碑を建てる事業をやってるのかはしりませんが、移ろいやすい都会の地名とその記憶をこうやって伝えていくのは非常に意味のあることだと思います。ぶっちゃけこういう税金の使い方は地名ヲタ的には大歓迎です。